DISCOVER JAPAN with Artisan
2025.07.25

スカジャンを文化にする男。「MIKASA」一本和良さん

タグ:#職人

こんにちは、47 TREASURE編集部です。

突然ですがみなさん、
スカジャン※ってどんなイメージがありますか?
「刺繍が派手」
「いかつい人が着てそう」…

 

正直、ちょっとこわい、
なんてイメージを抱いていた方もいるかもしれません。
(すいません。偏見です!)


しかし、今回ご紹介する

一本和良(ひともと かずよし)さん

に出会えば、
きっとそのイメージはガラッと変わるはず!


横須賀のドブ板通りでスカジャン専門店「MIKASA」を切り盛りし、その文化を未来へと繋ぐ一本さん。

彼の奥深いスカジャンの世界と、地元横須賀への溢れる愛、
そして何よりもその飾らない人柄と情熱に触れる特別な時間。

この記事を読めば、あなたもスカジャンを実際に見て、触れて、そして手に入れたくなるはずです!

  • ※スカジャン:
    横須賀で誕生した刺繍入りのジャンパーのこと。 米兵がお土産として持ち帰ったことから「スーベニアジャケット」とも呼ばれている
  • ※ドブ板通り:
    米海軍基地に隣接する横須賀の商店街。戦後は米兵向けのスーベニアショップやミリタリーショップが立ち並び、現在も異国情緒あふれる雰囲気が残る観光スポット

「売る側」から「作る側」へ。
スカジャンに受け継がれる一本さんの情熱

名前 一本和良
誕生日、年齢 62歳(2025年7月17日時点)
出身地 神奈川県横須賀市
作っている工藝品 横須賀スカジャン
(横須賀海軍カレー)
経歴 大学卒業後アパレル業界で営業・セレクトバイヤーとして勤務したのち、家業である「MIKASA」を継ぐ

一本さんのが現在店主をつとめる「MIKASA」は、
明治時代に横須賀市本町のドブ板通りで酒屋として歴史をスタートしました。

戦後、一本さんのお父様が基地に寄港した米兵向けのスーベニアショップ、現在の「MIKASA」を開業したことが、
スカジャンとの出会いだったと振り返ります。

「MIKASA」はそれ以来70年以上、店舗の場所や業態を変えながらスカジャンや洋服を販売してきました。

一本さん自身は大学卒業後、アパレル業界で約7年間、営業やセレクトバイヤーとして「売る側」の仕事を経験しました。

しかし、先代であるお父様が亡くなられたことをきっかけに、
家業を継ぐことになります。

継いだ当初は、扱う商品がデニムやヴィンテージ古着などに
変わる時期もありましたが、
スカジャンはずっと取り扱いを続けており、ここ10年ほどでスカジャンの比率が増え、現在の形に落ち着いたそうです。

一本さんが「スカジャン発祥の地」である横須賀・ドブ板通りで、その歴史とともに歩んできた「MIKASA」の店長を務める傍ら、
ドブ板通り商店街振興組合の副理事長も務めていることは、
彼がスカジャン文化の中心人物であることを物語っています。

ミシン少年が見つめる、スカジャンの奥深い世界~初めての作品はリュックサック~

MIKASAにあるミシン

 

”母が和裁も洋裁も得意で。子どもの頃からミシン触ってましたね”

一本さんがミシンに出会ったのは幼い頃。

お母様が洋裁も和裁もこなす大変器用な方で、
その姿を見て育ったことで、
自然と「作ること」が身近な存在になったといいます。


”たたきあげ、ですよね。 中学生の頃にはもうバンバン縫ってました(笑)”
と笑いながら話す一本さん。

中学生にして家業の店でデニムの裾上げを任されるほどだったというから驚きです。

さらに、15~6歳の頃には、東急ハンズで生地を買い、
自分で型紙を起こしてリュックサック(当時の「デイパック」)を制作!

なんとその作品をお店に置いて値札をつけて販売までしたというから、その才能と商才には脱帽です。

そんな「ミシン少年」だった一本さんですが、最近は少し事情が変わってきたそう。


”だんだん年取ってきて目が悪くなってきてね。
細かい作業がしんどくなっちゃった。
だから今はあんまり自分でミシン踏まないんですよ”

と語ります。

しかし、作ることが好きであることに変わりはなく、
自分でできる部分はこなしつつ、
難しい部分は職人との連携で実現するという、
”職人気質でありながら柔軟なスタイル”
を取り入れていいるのです。

思い出を刺繍に込める、
唯一無二のオーダースカジャン

店内に並ぶ多くのスカジャン

「MIKASA」では、一本さんが企画するフルオーダーのスカジャンも受け付けています。


お客様からのオーダーは、
「愛犬を刺繍してほしい」といったものから、
「夫婦の思い出のヴィンテージカーを背中に入れてほしい」といった、一般的なスカジャンのイメージを覆すようなユニークな依頼が多いそうです。


特に印象深かったのは、
ヴィンテージカーのデザインをスカジャンに施す依頼。


通常、スカジャンは平面的な絵柄が多いため、立体的な車を再現するのは非常に大変だったそうです。


それでも、
”平面の刺繍でどう立体を見せるか、影のつけ方までこだわります”
と語る一本さんの言葉には、
お客様の「思い」を形にする職人としての強いこだわりが感じられます。


スカジャンに囲まれ笑みをうかべる一本さん

完成までは半年〜1年かかることもありますが、
”お客様にとても喜んでもらえたのが嬉しかった”
と、その苦労もやりがいに変えている一本さんの笑顔が目に浮かびます。


MIKASAのオーダースカジャンのこだわりは、デザインだけではありません。

”「それ誰もやってないよ?」って言われたら、「よし、それやろう」って思っちゃうんですよ(笑)”

と語る一本さんの想いは日頃のものづくりに活きているんだと思います。


一本さんの「ものづくり」へのこだわりは、別の機会に詳しく紹介させていただきます。

横須賀の朝を動かす「動く」職人

スカジャン職人としての一本さんの顔だけでなく、
彼の日常を知ると、その人柄がさらに際立ちます。

少しプライベートな話になりますが、一本さんの1日は、
想像以上に早くて活動的です。

MIKASA CAFEの様子

「MIKASA CAFE」では、海軍カレーやチェリーチーズケーキなどの「#食」も提供しています。
なんと一本さんの自宅は店舗の下にあるため、
土日ともなると朝4時起きで、そのまま厨房へ直行!


”階段降りるだけなんで移動時間ゼロ(笑)”
そのストイックな早起きには頭が下がります。

早朝の仕込みが終わると、買い出しや店内の掃除など、
飲食部門の細々した業務を済ませてから、スカジャン店の準備に入ります。

スカジャン店の開店時間は11時。

それまでに、発送対応やお客様からのオーダー相談への返信などを片付けておくのが日課です。


”飲食と物販、どっちかだけでもまあまあ忙しいんだけど、両方やるとね、なかなか頭も体も使いますよ(笑)”
と多忙な日々を笑顔で語ります。

夕方6時にお店が閉まったら、そこからが「家庭の時間」。

驚くことに、ご自宅の料理は一本さんが担当しているそうです!


”家族の好みに合わせて献立考えるの、結構たいへん(笑)”
と、料理にも細やかな気配りを見せる一本さんの姿に、
親近感を覚えます。

夜は晩酌を楽しみつつ、自分でつまみを作ってリラックス。

週末や繁忙期を除けば、遅くまで仕事をすることは少ないといいますが、ほとんど休みなく働き続けているにもかかわらず
”不思議と苦じゃないんだよね。
朝もスパッと起きれるし”

と話す一本さん。

まさに「動いている方が性に合う」という言葉がぴったりの、
パワフルな職人さんです。

スカジャンと横須賀への愛:地域を牽引する副理事長

ドブ板通り商店街

一本さんのモットーは
”人がやらないことをやる”
朝もスパッと起きれるし”

この言葉通り、彼は常に新しい挑戦を続けています。

MIKASAの仕事だけでなく、ドブ板通り商店街振興組合の副理事長としても、横須賀の地域活性化に尽力しています。


その活動は多岐にわたり、
例えば、街を歩けば目にする「スカジャン柄のマンホール」や、商店街に飾られた「スカジャン柄のフラッグ」も、
一本さんの取り組みの一つです。
実は、2025年大阪・関西万博のスカジャンデザインも手掛けた「スカジャン絵師」がデザインしているとのこと。

ドブ板通りにあるマンホールとフラッグ


一本さんは、横須賀を訪れる観光客にとって魅力的なスポットも熟知しています。
海上自衛隊と米軍基地の船が見られる「ヴェルニー公園」や、
そこから出ている「軍港巡り」の船は、日本で唯一の珍しいクルーズ体験だといいます。

また、どぶ板通りは夜になると米兵で賑わい、昼とは違った異国情緒あふれる雰囲気が味わえるのも魅力だそうです。

どぶ板通りの魅力については、また別の記事で紹介していきます!

そして、横須賀グルメといえば、

  • 「海軍カレー」
  • 「ヨコスカネイビーバーガー」
  • 「ヨコスカチェリーチーズケーキ」

の3大グルメ

特にチェリーチーズケーキは、
かつての司令官からレシピを提供された由緒ある一品で、
一本さんの店でも海軍カレーとともに提供されています!

スカジャン文化の未来を切り拓く挑戦

近年、スカジャンはパリ・コレクションで
ルイ・ヴィトンやグッチといったハイブランドが取り入れるなど、世界中で注目を浴びています。

2021年の東京オリンピックでは、
公式グッズとしてスカジャンが制作され、
着用したアスリートがSNSに投稿したところ、
世界中から大きな反響を呼んだといいます。


しかし、一本さんは、このような追い風がある一方で、
刺繍職人の高齢化・減少により、「本来のスカジャンらしさ」を持つ刺繍デザインを生み出す技術が失われていくという憂慮すべき状況にも直面していると語ります。

この状況を乗り越え、横須賀のスピリットであり誇りでもあるスカジャン文化を未来へつなぐため、一本さんは新たな挑戦を続けています。


例えば、還暦祝い専用のスカジャン「還ジャン®(カンジャン)」の開発です。

提供:MIKASA

還暦祝いに用いられる赤色をベースに、贈る相手の干支の柄や名前を刺繍することで、「世界に一つだけのオリジナル・スカジャン」に仕上げるという、新発想のギフトです。

これは、還暦祝い用に赤いスカジャンを購入したお客様がいたことに着想を得て、2年の歳月をかけて開発された力作です。

一本さんは、この「還ジャン®」をきっかけにスカジャン絵師の横地広海知さんと立ち上げた「ドブ板スカジャン研究会」をベースに、
スカジャン文化の発展、横須賀の地域活性化、
そして「還ジャン®」を「Japanブランド」として世界へ発信していくことを目標に掲げています。

常に時代のニーズに応じたハイクオリティなスカジャンを意欲的に開発していくことに情熱を注いでる一本さんはこれからも注目です。

まとめ:スカジャンって、こんなに人間くさい服だったんだ

一本和良さんと話していると、
スカジャンってただの「派手な服」というイメージが、
いかに表面的なものだったかを思い知らされます。

そこには、一着に込められた職人のこだわり、
お客様一人ひとりの思い出に寄り添うストーリー、
そして地域の文化を愛し、未来へ繋げようとする熱い思いが縫い込まれていました。(スカジャンだけに^^)

スカジャンが「洋服でありながら日本で生まれたユニークな背景を持つ」文化であることを、一本さん自身が体現しているのです。

少しでも気になった方は、ぜひ「スカジャン発祥の地」横須賀・ドブ板通りへ足を運んでみてください。

一本さんに会えば、「自分だけの一着」がきっと見つかるはずです!
“自分だけの一着”、探してみませんか?


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