朝6時20分から始まる、田島硝子 田嶌さんの1日
東京・江戸川区で70年続く手吹きガラス工房「田島硝子」。
その三代目として会社を率いるのが、代表の田嶌大輔さんです。
「僕の立場はちょっとその、実際の職人ではないので」
と田嶌さんは謙遜します。
それでも、工房を動かし、職人たちが最高のパフォーマンスを発揮できる環境をつくるのは、まぎれもなく田嶌さんの役割。
今回はそんな三代目・田嶌さんの日常と想いをご紹介します。
職人ではない。でも工房を動かす要の人

名前 | 田嶌 大輔(たじま だいすけ) |
生まれ | 東京都生まれ |
扱う工藝品 | 江戸硝子・江戸切子 |
肩書 | 田島硝子 三代目 代表 |
キャリア | 大手陶器メーカーで約5年勤務後、田島硝子に入社 |
24時間絶えることなく稼働する工房
田嶌さんの一日の始まりはとても早いんです。
毎朝6時20分ごろには工房に入り、
まずは炉の状態(ガラスの溶け具合)を確認し、職人たちの出勤を見守る。
そこから工房の一日が動き出すのだとか。
工房は24時間稼働体制。
朝7時50分から夕方5時までは職人が4~5人のチームを組んで
ガラスを吹き、製品を仕上げていきます。

その数、1日にしておよそ2500個。
日中の仕事が終わる前には”窯焚きさん”とよばれる夜勤の職人が出勤。
原料を溶かし、温度を上げ下げしながら、翌日吹き職人が最高のスタートを切れるように、ガラスを最適な状態に整えるのです。
夜間は炉の温度を1510〜1520度まで上げてガラスを芯まで溶かし、
朝方に向けて約1300度まで温度を下げて、粘りのある”ちょうどいい硬さ”に仕上げます。
工場は24時間、人もいるし、動いているんです

田嶌さんの言葉通り、火を絶やさず、
昼と夜で人が交代しながら工房を支えています。
毎日同じものを作っているわけではありません。
午前と午後で異なる製品をつくることもあり、
そのたびに田嶌さんは、日々微妙に変化するガラスの溶け具合や硬さを見極め、
職人に声をかけながら、常に現場を整えていきます。
継げと言われなかった家業
三代目と聞くと「当然家業を継いだんですよね?」と思うかもしれません。
私もそう思っていたのですが、実は違うんです。
田嶌さんが子どもの頃、東京には30〜40軒ものガラス工場がありましたが、
気がつけば次々と廃業。今では日本にわずか9軒しか残っていないのだそう。
そんな厳しい状況の中で田嶌さんのお父さま(二代目)は
「自分の代で終わるかもしれない」と感じていたのだとか。
だからこそ、「あなたの人生はあなたの好きに生きなさい」と。
「継げ」とは一度も言わなかったのです。
それでも田嶌さん自身は、祖父や職人に囲まれて育った経験から、
工房への思いは消えませんでした。
もし父に何かあった時、祖父が一生懸命つくった会社の閉め方すら分からないのは嫌だ
そんな責任感が、最終的に家業に戻る決意につながったのです。
陶器の世界で学んだ”売るチカラ”
大学を出たあと、田嶌さんはすぐには家業に戻りませんでした。
就職したのは陶器の大手メーカー。
ガラス業界にはなかった、商売のノウハウを学びたかったんです
外商として百貨店や広告代理店とやり取りする中で、
販売の仕組みやプロモーションを徹底的に学びました。
この経験が、のちに自社商品の開発やOEM対応にも大きなチカラになっていくのです。
”面白いモノを作れば、営業しなくても買ってくれる”
―そうした感覚もこの時に培われました。
父から言われた”自分の居場所は自分で見つけろ”
5年の修業を終え、田島硝子に戻った田嶌さん。
父親から言われたのは「自分の居場所は自分で見つけろ」でした。
最初は職人に認められず、悔しい思いもしました。
それでも営業に力を入れ、カタログギフトへの採用などで結果を出し、
徐々に信頼を得ていきます。
職人としてではなく、工房を支える経営者として。
田嶌さんは、自らの役割を少しずつ築いていったのです。
”技術を残すこと”これが僕の最大の使命だと思っています。
田島硝子は三代にわたる工房ですが、その歩みは少しユニーク。
祖父(初代)は経営者として工房を立ち上げ、
父(二代目)は現場でガラスを吹く職人として支え、
そして三代目の田嶌さんは再び「職人ではない経営者」として会社を率いています。
職人ではない。だからこそ、僕の一番の仕事は”技術を継承すること”だとおもっています
と語る田嶌さん。
かつて多くの工房が持っていた技術の中には、
もう担い手がいないものもあります。
今は500円にしかならない技術でも、
10年後には1000円払っても欲しいといわれる時代が来るかもしれない。
でも一度辞めたら、もうできないから。
田嶌さんはそう語り、目先の利益に流されず、
あらゆる技術を会社の財産として、残すことにこだわります。
だからこそ田島硝子では、採算が合わないように見える技術も手放さない。
それは”未来への投資”であり、工房を100年続く会社にするための土台なのです。
引き足*:ワイングラスなどの足付きグラスを作る際に、カップ部分から直接足(ステム)を伸ばして成形する技法のこと
職人を仕事で育てる、それが田嶌さん流
田島硝子には、厚い底を得意とする職人もいれば、
繊細なワイングラスの“引き足”に秀でた職人もいます。
得意分野は一人ひとり違うからこそ、
それぞれの技を活かす場を用意するのが田嶌さんの役目なのです。
利益が大きい「ステーキ」のような仕事ばかりを追いかけるのではなく、
時には「おかゆ」のような利益の少ない仕事もあえて受ける。
「これは若手に経験を積ませられる」
「この工程ならあの職人が腕を振るえる」
──そう考えて仕事を組み合わせ、工房全体がバランスよく回るように工夫しています。
職人はやっぱり仕事で育つんです。
練習も必要だけど、本番の現場で学んでいくから
特定の職人だけが忙しく、
他の職人が手持ち無沙汰になるようなことがないように。
だからこそ田嶌さんは、多少効率が悪くても、
多様な技術に触れられる仕事を残し続けます。
ここにも利益を超えた“未来への投資”があるのです。
世界へと広がった富士山グラス
グラスの底に富士山をかたどり、注ぐ飲み物によって
山肌や雪景色が変化するデザインのグラス「富士山グラス」。

富士山グラスだって営業してないんです。1個も。
田島硝子の自社商品の中でも、最も長く売れ続けるヒット商品です。
きっかけは購入者が様々な飲み物を入れて写真を投稿したこと。
この投稿がマスメディアの取材に繋がったり、SNSで拡散されたりと
瞬く間に世界中に広まったのだとか。
(実はこのグラスがどう生まれたのか、裏話もあるのですが…それはまた別の機会にご紹介しますね。)
人がすべて、だから未来がある
田嶌さんが語る未来の目標は「創業100年」。
ただし最大の課題は“人”です。
若くて、あ、こんなもの僕も作ってみたいな、
私も作ってみたいなって会社であり続けたい
会社が「面白そう」だと思ってもらえるかどうか。
この仕事は人が全てだから。
技術者らが全てだから。
工房の未来は、結局“人”にかかっています。
だからこそ、職人が輝ける舞台を整えること。
それが三代目の大切な仕事なんです。
職人ではない、でも工房を動かし、未来を描く人。
田嶌さんは、そんな立場から今日も現場を支えています。
そして明日もまた、朝早くから工房へ向かうのです。