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2025.12.16

ひな人形の由来とは?千年の時を超えて受け継がれる伝統行事

タグ:#発見

春の訪れとともに飾られるひな人形。
どれほど長い歴史と人々の願いが込められているのか、ご存知でしょうか。

ひな人形のはじまりは、およそ千年前、平安時代中期まで遡ります。
今回は、ひな人形の由来についてご紹介します。
 

厄を託した「流しびな」と、ひな人形のはじまり

ひな人形の起源のひとつとされているのが、
古代中国から伝わった上巳の節句という厄払いの行事。

平安時代、人々は紙や土で作った人形(ひとがた)に自分の災いや穢れを託し、
川や海へと流して無病息災を祈ったのだとか。
この風習が、のちに「流しびな」と呼ばれるようになるのです。

人形は、自分の代わりに厄を引き受けてくれる存在。
だからこそ、ひな人形は今でも
"身代わりとなって子供をまもるもの"として大切にされているのです。

水に流されて消えていくはずだった小さな人形。
その祈りの時間こそが、ひな人形の原点だったのです。

 

貴族の遊び「ひいな遊び」と、人形を愛でる文化

もうひとつの起源が、平安時代の宮中で親しまれていた「ひいな遊び」。
紙などで作られた人形や、御殿、調度品を並べて楽しむ遊びは、
現在でいう「ままごと遊び」に近いもの。

源氏物語や枕草子にもその様子が描かれていて、人形と共に過ごす時間が
当時の少女たちの日常の一部だったことが伺えます。

やがて、厄を祓うための人形と、
人形を愛でる遊びの文化が結びつき、
祈りと美しさを併せ持つそんざいとしてひなの人形が形作られていったのです。

この流れの中で生まれた立雛(たちびな)は、
ひな人形の源流のひとつとされているのだとか。

ひな人形は"ひとりにひとつ"が良いとされる理由

ひな人形には“身代わり”としての役割があるため、
古くは「子どもひとりにひとつ」が望ましいとされてきました。

姉妹で共有したり、お下がりを譲り受けたりすると、
厄までも引き継いでしまう――
そんな考え方があったのだそう。

とはいえ現代では、住まいの事情に合わせて
つるし雛や市松人形など
その子のための小さなお守り人形を迎えるご家庭も増えています。
“想いを込めて選ぶこと”そのものが、大切にされるようになってきたのです。

 

"流す"から"飾る"に。暮らしに根付いたひな祭り

室町時代位に3月3日が上巳の節句として定められてからも、
しばらくの間、ひな祭りは祓いの行事として行われていたのだそう。

大きく姿を変えたのは、戦の無い平和な世界が続いた江戸時代。
京都御所で盛大なひな祭りが催されたことがきっかけに、
その風習は大奥から町人の暮らしへと広がっていきました。

このころから、人形を川に流すのではなく、
家の中に飾り、家族で見守る文化が定着したのだとか。

女の子の誕生を祝う初節句の風習も生まれ、
日本橋や浅草には雛市が立つほどの賑わいを見せたのだそう。

また、ひな人形が天皇陛下と皇后陛下の婚礼姿を表すようになったのもこの時代。

厄除けに加え、
"良縁に恵まれ、幸せな人生を歩めますように"
そんな願いが自然と託されるようになったのです。

明治時代には一時的に節句行事が廃止されたこともありましたが、
人々の暮らしに深く根付いていたひな祭りは、カタチを変えながらも受け継がれ、
現在も春の訪れを継げる大切なイベントとして続いているのです。

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